イエスより愛をこめて
森を思い描いてごらん。青々と茂った、吸い込まれるような森を。中に足を踏み入れてあたりを見渡すと、以前に自然の中で感じたことのある、あの感嘆の念が押し寄せてくると思っていたけれど、どういうわけか今回は、鳥のさえずりが聞こえず、木々にそよぐ風も吹かず、小川のせせらぎも聞こえてこない。あるのは静寂だけで、動きも生気もない。森の中にいるけれど、これだと、壁にかけた絵を見るのでもいいくらいだ。
さて、もう一度同じ情景を思い描いてみよう。今度は、あなたの期待していたものが全てそこにある。明るくさえずる鳥の声、さらさらと流れる小川、木の葉のそよぐ音、髪をなびかせるそよ風、雨の後の森の匂い、ひんやりと漂う霧、苔に覆われた足元の小径。 ![]()
この二つの森の対比は、わたしについて知っていることと、実際にわたしを知っていることとの違いのようだ。単にわたしについて聞いたり読んだりすることと、わたしと直接、個人的な関係を持つこととの違いだ。前者に活気はないが、後者は活気に満ち、興奮と命と愛にあふれている。前者には心を動かすものはないが、後者はあなたの五感を満たす。前者はあなたをより良い人間にしてくれるかも知れないが、後者はあなたを成熟した人間にする。
わたしの愛は、いつでもあなたを待っている。あなたもこの森に足を踏み入れて、わたしがあなたのために用意しているものを経験してみてはどうだろうか。あなたは、祈り一つでわたしに近づける。ただ心を開けば、わたしはそこにいるのだ。
Image of Jesus by Mina Atef via Behance. Used under Creative Commons Attribution-NonCommercial 4.0 International License. Text copyright Activated magazine; used by permission.
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ゴードン・マクドナルドはその著書『The Life God Blesses(神の祝福する人生)』の中で、コロラド大学陸上チームでの経験について語っていますが、特に、ビルというチームメートとのワークアウトが大変だったと話しています。「今日に至るまで、毎週月曜の午後のワークアウトは辛い思い出です。月曜のワークアウトが終わると、へとへとになってロッカールームに行ったものです。」 でもビルは違いました。彼はワークアウトを終えると、トラックの脇の芝生で休み、20分ぐらいすると、ゴードンがシャワーしている間に、ワークアウトをまた最初から一通り繰り返すのです! ビルは自分のことを大学で目立って優れたアスリートだとは考えていませんでした。こんな風に言っています。「僕は大したアスリートではなかったけれど、『あの手この手』理論を持っていて、どういうことかというと、トレーニングや競技で一つの派手な動きはできなくても、小さなことなら出来ることが何千もあるということです。」 ![]()
ビルは大学時代はこれといった成績は残さなかったけれど、時間が経つにつれ、彼の自己鍛錬と願望は報われました。自制心による努力と継続的な改善を通して、ゴードン・マクドナルドとワークアウトをした目立たない大学生アスリート、ビル・トーミーは、世界的に有名なアスリートとなり、1984年に10種競技でオリンピック名誉殿堂入りしました。
ビルがそれほどの偉業を達成できたのも、自己鍛錬のおかげでした。それは、ゴードン・マクドナルドがこう言っている通りです。「私たち2人の違いは、月曜午後のワークアウトに始まりました。彼は自己鍛錬を厭わず、最大限のことをしたけれど、私はそれを嫌い、最低限で済ませたのです。」
エルサ・シクロフスキー 何年も前に、恵まれない学生のための食事センターを運営するボランティア・プロジェクトに参加したことがあります。最初の2年間はキッチンの片付けや食料品購入、そして食事の支度を手伝いました。バランスが取れていて美味しく、しかも低コストの食事を準備するのを助けられて、誇りに思ったものです。勤勉な努力が団体の指導者陣に認められて、私は食費のやりくりやメニューの立案という、より大きな責任を任されるようになりました。 ところが、このプロジェクトに参加して3年目に運営陣が変わり、団体の活動の焦点は、環境の悪い地域に住む学業不振児に英語と科学の補習授業を行うことに移行したのです。食事センターは大幅に縮小され、キッチンスタッフの相当数(私も含めて)が配置換えされて、教師のアシスタントとなりました。それまで調理を担当していた人のほとんどは、キッチンスタッフという人目につかない仕事を離れ、子どもたちと直接関わり合えることを楽しんでいたけれど、私はそうではありませんでした。 野菜や鍋が私に逆らうことは決してないけれど、教室には、やんちゃで次に何をしでかすか予測できない生徒たちや、自分の考えどおりに私を動かして手伝わせようとする教師がいます。達成感を覚え、思うがままに物事を進められていた、あの居心地のいい古巣を追われた上に、教室内が不安定で予測不能な状態だったために、私は気力を失いました。教室では基本的な務めを果たしてはいても、キッチンの時と同じような熱意と入念さをもって事にあたることができなかったのです。 そんなある日、私と同じく元調理担当だった同僚の一人に、新しい運営方針について愚痴をこぼしました。すると、同僚は私に同情してくれました。「確かに、僕にとっても、自分がこれほど時間を捧げてきた団体の姿が変わるのには抵抗を感じたよ。」 そして、さらにこう言ったのです。「でもね、変化というのは人生に不可欠なものだし、時には流れに身を任せるのも大切なことだよ。」 ![]()
私は反発しました。「でも、こんな流れは好きじゃないわ。自分が場違いに感じるもの。」
「キッチンだって、最初のうちは慣れなかったんじゃないの?」 「ああ、そう感じたのは、もうはるか昔のことに思えるわ!」 「そういうものさ。君はキッチンのことをたくさん学んできたよね。もし、自分が心地よく感じるゾーンから抜け出す気持ちがあるなら、これからは教育についても多くを学べるよ。」 それから何年か経った今、私は同僚の助言に感謝しており、その言葉を思い出しては、絶え間なく押し寄せる人生の変化という痛みを伴う過程を乗り越えるようにしています。自分に制限をかけて、好きなことや得意なことだけをしているなら、成長が妨げられてしまいます。しかし、変化の流れに身を任せて前へ進んでいくなら、その過程で新たなスキルを身に着け、初めてのことを楽しく経験していけるのです。
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燃え盛るビルの80階に閉じ込められた女性の実話を聞いたことがあります。彼女は高所・閉所恐怖症でした。それで、火災報知器が鳴り響き、同僚が安全な場所に避難するために非常階段の方へ行っても、彼女はついて行こうとしませんでした。
消防士たちがビル内を見て回った時、女性がデスクの下に隠れて、ただ死ぬ時を待っているのを見つけました。非常階段を降りるように言っても、怖い、怖い、と叫ぶばかりなので、とうとうひとりの消防士がこう言いました。『大丈夫。怖くてもいいから、とにかく降りましょう。』 その消防士はずっとそういい続けながら、80階分の階段を一緒に降りて、女性を安全な場所まで連れて行きました。 すべきことはわかっているけれど、恐れによって踏みとどまってしまうという状態に陥ったことがあります。しかし、人より抜きん出るには、恐れに面しつつも行動する習慣をつけなければなりません。怖くても大丈夫。怖くてもいいから行動しましょう。不安でも大丈夫。不安でもいいから行動しましょう。快適に感じなくても大丈夫。快適に感じないながらも行動しましょう。 新しいことに挑むのは、最初は誰にとってもかなりぎこちなく感じられ、さらには怖いことだってあるものです。しかし、思い切って一歩踏み出し、恐れていることをあえてやってみれば、そのうちに必ず上達して、もっと楽にできるようになるでしょう。そしていずれは、もう怖くなくなります。恐れは、そうやって克服していくのです。 Courtesy of Activated magazine. Used by permission. Image by Vexels.com
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43歳のある日のことです。奇妙な形の石につまずきました。彼自身の言葉を借りれば、「かなり急いで歩いていると、何かに足をとられて、よろめきながら何メートルか先に進んだ。いったい何だろうと思った。そういえば昔、宮殿か城か石窟か、よく説明はできないが、何かを作っていた夢を見たことがある。‥‥馬鹿にされるのはいやだし、自分でも馬鹿げていると思ったので、誰にも話したことはない。あれから15年が経ち、夢のことは忘れかけていたし、考えることなどなかったのだが、何かにつまずいた足が思い出させてくれた。足が引っかかったのは石で、そのために、ひっくり返りそうになったのだ。そこで、どんな石なのかを知りたくなった。‥‥かなり奇妙な形をしていたので、あとでゆっくり見てみようと思い、ポケットに入れた。翌日、例の場所に戻ってみると、他にも石が落ちていた。しかももっときれいだったので、一箇所に集めてみた。嬉しくてたまらなくなった。」 1896年、シュヴァルは引退し、建築のために完全に情熱を傾けることができるようになりました。1912年、77歳の時、33年間かけた建設は終わりを告げ、宮殿は完成しました。しかし、シュヴァルのしたいことは、まだ済んでいません。次に精巧な霊廟を作り始めたのです。そのためにさらに8年かかり、完成した時には86歳になっていました。 あなたも、自分は日々長い道のりをゆっくりと進むだけの、平凡な人生を生きていると感じるなら、理想宮を夢見た郵便配達夫のことや、その夢を実現するためにかかった、石を一つずつ積み上げるという、骨の折れる単調な仕事のことを思い出してください。人生の旅路を進んでいて、奇妙な石につまずいたことがもとで、驚くべき結果がもたらされるということが、あなたにも起こるかもしれません。そのようなつまずきの石を踏み石として使うなら、何か驚くべきものを作り出すことができるかもしれないのです。
Text courtesy of Activated magazine. Used by permission.
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