ルツはナオミの息子の妻でした。ナオミはユダヤ人であり、イスラエルに飢饉が起こった際、家族でモアブに移住したのですが、しばらくして、夫も二人の息子も亡くしています。それまであまりいいことがなかった上に、ひとりぼっちになってしまったナオミは、イスラエルに戻ることを決意しました。
しかし、ルツは義母のナオミと一緒に行くことを選び、ナオミの民を自分の民とし、ナオミの神を自分の神とすることを約束しました。イスラエルに戻った二人は、生き延びることで精一杯です。ルツは、収穫人が残した落ち穂を拾いに畑へ行きました。その畑の持ち主であるボアズは、ナオミから離れなかったルツの誠実さに感銘を受け、彼女と結婚します。そして、ボアズとルツは、ダビデ王の曽祖父母となり、イエスの祖先となりました。 この物語には、奇跡や超自然的な出来事は出てきませんが、神の御手が働いていることは、あらゆる場面にはっきりと表れています。ルツとナオミが何とか生き延びようと努め、神の教えに沿った生き方をしようとしていた時、この普通の人たちの人生の中に、神のご計画が成し遂げられたのです。
私たちの場合も、多くの時はそうなのだろうと思います。神の御心は、通常、ものすごく派手な形で表れるわけではありません。私たちが普通の状況で、日常的なことをする際に、神の真理にしたがって生きようと最善を尽くすことによって、神のご計画は成し遂げられるのです。特定のことをせよという召命や使命が突然示される人もいますが、私たちの多くは、日々一歩一歩進み、神のご配慮にその日を委ねていく内に、自分の人生に神の御手を見るのでしょう。
あなたのための神のご計画を、見いだしたくありませんか。まず、次のように祈って、神の子であるイエスをあなたの人生に迎え入れましょう。 「イエスさま、あなたが神の子であり、私のために死んでくださったことを、信じます。いま私の心に入って、私のあやまちをゆるし、永遠の命という贈り物を与えてくださるよう祈ります。あなたの聖霊で私を満たし、あなたと他の人を愛せるようお助けください。アーメン。」
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三日目 from FreeChildrenStories
インドのアッサム州にも、自分のいる地域で30年間木を植え続けてきたジャダブ・パイェンという人がいます。ブラマプトラ川流域には木があまりないため、毎年洪水が発生して、農作物や家屋に多大な損害がもたらされ、暮らしを脅かしてきました。ジャダブは木を植えることによって、荒れ果てた島を生まれ変わらせようと決意し、今ではその一帯が、ニューヨークのセントラルパークよりも広大な550万平方メートルを超える森林となっています。 この森林は地域に大きな益をもたらしました。農業が再開し、その地域での洪水はなくなり、サイや象や虎などの野生動物が森に住み着いています。そして今、ジャダブには次の夢があります。すべての学校のカリキュラムに環境科学が組み込まれ、生徒たちが皆、木を植えて世話するようになることを願っているのです。 ジャダブがこれまでしてきたことは、簡単ではありませんでした。長年、欲深い密猟者や伐採者、腐敗した政治家らの脅威にさらされてきたのです。それでも、彼はこう語っています。「これが自分にとって何の得になるかは分かりませんが、木を植えていると幸せなんです。一生やり続けますよ。」 同じように世界を変えた人に、ケニア出身のワンガリ・マータイがいます。彼女は環境回復と地域開発の活動によって、ノーベル平和賞を受賞しました。 ワンガリは、十代の時に通っていたミッション・スクールで、レジオ・マリエ会の活動に活発に携わりました。レジオ・マリエは、地域で農業プロジェクトを行っており、そのモットーは「同胞に仕えることによって、神に仕える」というものでした。彼女は20代初めに、奨学金を得てアメリカのピッツバーグ大学で学び、そこで会った環境保護活動家らが市から大気汚染をなくそうとしているのを見て、彼らの取り組みによって、とても意義のある結果がもたらされていると感じました。私自身、当時のピッツバーグで子ども時代を過ごしたので、確かに空気の質がかなり改善したと証言できます。 ケニアに戻ったワンガリは、女性の生活状況の改善に尽力しました。グリーンベルト運動を設立したのは、女性たちが土着の木の種から苗木を育てることによって、自活できるよう助けるためでした。このプロジェクトの素晴らしいところは、シンプルであることです。その著書『Unbowed(邦題:へこたれない UNBOWED)』で、彼女はこう語っています。「林務官や女性たちに話したことですが、木を植えるのに卒業証書は必要ありません。」 グリーンベルト運動は、ノルウェー森林協会などから国際的な協力を得て大いに成功しました。また、15ヶ国以上から視察団が来て、砂漠化、森林減少、干ばつ、飢饉と闘うために、どうすれば自国で同じようなプロジェクトを実施できるか、学んでいきました。 これまでに何百万本もの木が植えられており、さらに、この運動がきっかけで、国連の「10億本植樹キャンペーン」など数多くの取り組みが生まれてきました。 でも、あなたや私にとって、「森林再生」は何を意味するでしょうか。ほとんどの人は、めったに木を植えることがないとしても、それがすべてではありません。世界をより良い場所にするために、自分にできることをするのが大切なのです。その第一歩は、自分にとっての「木」とは何かを知り、次に、それを大事に育てることです。 イエスだったら、それをこんなふうに言われたかもしれません。「天の国は、ある人が、不毛の荒れ地に幾つもの木を植えに出かけて行くようなものだ。それが育つと、いずれ広大な森となって、地を豊かにし、多くの実をもたらす。」 Text adapted from Activated magazine. Used by permission.
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人生が激しく揺さぶられているように感じ、どうやって今日一日を乗り切れるかさえ分からないという経験はあるでしょうか。もしそうなら、1798年、ロンドン南西部のキュー王立植物園に植えられ、今も立派な姿を見せている、高さ16メートルのターナーズオークというカシの木に勇気づけられることでしょう。
1980年代、この木は弱々しく、いずれ枯れそうな状態でした。そして、1987年10月16日、グレートストームと呼ばれる大嵐がイギリスやフランス、チャンネル諸島を襲いました。それは1703年の大嵐以来、イギリスを襲った最悪の嵐と言われ、たった1時間の間にイギリス南部で1500万本もの木がなぎ倒されたのです。そのうちの一本が、このターナーズオークでした。強風で、浅く張っていた根もろとも地面から持ち上げられ、激しく揺さぶられて、また地面に落とされました。まるで、巨人の手がワイングラスを持ち上げたかと思うと、それをテーブルに勢いよく戻したかのように。 樹木園の責任者トニー・カークハムは、家族の一員を失ったかのように感じたそうです。「私は途方に暮れました。ずっと世話をし続け、慣れ親しんできた木がいくつも地面に横たわっているのですから。」 回復の望みはあまりないものの、トニーは仲間の樹木医たちと共に、この大きなカシの木を埋め戻し、支柱を施しました。
それから3年後、驚いたことに、木がこれまでになく健康な状態になった時、彼らは気づきました。以前は沢山の人に踏まれ続けてきたことで、根元の土が固くなってしまい、十分な空気や水を得られなくなっていたのだと。嵐によって根元の土が緩んで隙間ができたため、また元気を取り戻したのです。
大嵐から30数年が経ち、ターナーズオークは3分の1ほど樹高が伸びたばかりか、世界の樹木管理のやり方に影響を与えてきました。たとえば、土を砕いて、酸素、窒素、栄養素が根に届きやすくする機器の開発などです。 大嵐のさなかにある時には、そこから何の良いことが生まれるのか分からないかも知れませんが、嵐が止んだ時、新たな命が始まります。困難のさなかにある時には、その理由が分からないし、「木を見て森を見ず」の状態になることがよくあります。でも、神が良き目的を持って私たちの人生に働きかけておられると信じるなら、心に安息と平安が訪れるのです。
イエスより愛をこめて
森を思い描いてごらん。青々と茂った、吸い込まれるような森を。中に足を踏み入れてあたりを見渡すと、以前に自然の中で感じたことのある、あの感嘆の念が押し寄せてくると思っていたけれど、どういうわけか今回は、鳥のさえずりが聞こえず、木々にそよぐ風も吹かず、小川のせせらぎも聞こえてこない。あるのは静寂だけで、動きも生気もない。森の中にいるけれど、これだと、壁にかけた絵を見るのでもいいくらいだ。
さて、もう一度同じ情景を思い描いてみよう。今度は、あなたの期待していたものが全てそこにある。明るくさえずる鳥の声、さらさらと流れる小川、木の葉のそよぐ音、髪をなびかせるそよ風、雨の後の森の匂い、ひんやりと漂う霧、苔に覆われた足元の小径。
この二つの森の対比は、わたしについて知っていることと、実際にわたしを知っていることとの違いのようだ。単にわたしについて聞いたり読んだりすることと、わたしと直接、個人的な関係を持つこととの違いだ。前者に活気はないが、後者は活気に満ち、興奮と命と愛にあふれている。前者には心を動かすものはないが、後者はあなたの五感を満たす。前者はあなたをより良い人間にしてくれるかも知れないが、後者はあなたを成熟した人間にする。
わたしの愛は、いつでもあなたを待っている。あなたもこの森に足を踏み入れて、わたしがあなたのために用意しているものを経験してみてはどうだろうか。あなたは、祈り一つでわたしに近づける。ただ心を開けば、わたしはそこにいるのだ。
Image of Jesus by Mina Atef via Behance. Used under Creative Commons Attribution-NonCommercial 4.0 International License. Text copyright Activated magazine; used by permission.
ゴードン・マクドナルドはその著書『The Life God Blesses(神の祝福する人生)』の中で、コロラド大学陸上チームでの経験について語っていますが、特に、ビルというチームメートとのワークアウトが大変だったと話しています。「今日に至るまで、毎週月曜の午後のワークアウトは辛い思い出です。月曜のワークアウトが終わると、へとへとになってロッカールームに行ったものです。」 でもビルは違いました。彼はワークアウトを終えると、トラックの脇の芝生で休み、20分ぐらいすると、ゴードンがシャワーしている間に、ワークアウトをまた最初から一通り繰り返すのです!
ビルは自分のことを大学で目立って優れたアスリートだとは考えていませんでした。こんな風に言っています。「僕は大したアスリートではなかったけれど、『あの手この手』理論を持っていて、どういうことかというと、トレーニングや競技で一つの派手な動きはできなくても、小さなことなら出来ることが何千もあるということです。」
ビルは大学時代はこれといった成績は残さなかったけれど、時間が経つにつれ、彼の自己鍛錬と願望は報われました。自制心による努力と継続的な改善を通して、ゴードン・マクドナルドとワークアウトをした目立たない大学生アスリート、ビル・トーミーは、世界的に有名なアスリートとなり、1984年に10種競技でオリンピック名誉殿堂入りしました。
ビルがそれほどの偉業を達成できたのも、自己鍛錬のおかげでした。それは、ゴードン・マクドナルドがこう言っている通りです。「私たち2人の違いは、月曜午後のワークアウトに始まりました。彼は自己鍛錬を厭わず、最大限のことをしたけれど、私はそれを嫌い、最低限で済ませたのです。」
エルサ・シクロフスキー
何年も前に、恵まれない学生のための食事センターを運営するボランティア・プロジェクトに参加したことがあります。最初の2年間はキッチンの片付けや食料品購入、そして食事の支度を手伝いました。バランスが取れていて美味しく、しかも低コストの食事を準備するのを助けられて、誇りに思ったものです。勤勉な努力が団体の指導者陣に認められて、私は食費のやりくりやメニューの立案という、より大きな責任を任されるようになりました。 ところが、このプロジェクトに参加して3年目に運営陣が変わり、団体の活動の焦点は、環境の悪い地域に住む学業不振児に英語と科学の補習授業を行うことに移行したのです。食事センターは大幅に縮小され、キッチンスタッフの相当数(私も含めて)が配置換えされて、教師のアシスタントとなりました。それまで調理を担当していた人のほとんどは、キッチンスタッフという人目につかない仕事を離れ、子どもたちと直接関わり合えることを楽しんでいたけれど、私はそうではありませんでした。 野菜や鍋が私に逆らうことは決してないけれど、教室には、やんちゃで次に何をしでかすか予測できない生徒たちや、自分の考えどおりに私を動かして手伝わせようとする教師がいます。達成感を覚え、思うがままに物事を進められていた、あの居心地のいい古巣を追われた上に、教室内が不安定で予測不能な状態だったために、私は気力を失いました。教室では基本的な務めを果たしてはいても、キッチンの時と同じような熱意と入念さをもって事にあたることができなかったのです。 そんなある日、私と同じく元調理担当だった同僚の一人に、新しい運営方針について愚痴をこぼしました。すると、同僚は私に同情してくれました。「確かに、僕にとっても、自分がこれほど時間を捧げてきた団体の姿が変わるのには抵抗を感じたよ。」 そして、さらにこう言ったのです。「でもね、変化というのは人生に不可欠なものだし、時には流れに身を任せるのも大切なことだよ。」
私は反発しました。「でも、こんな流れは好きじゃないわ。自分が場違いに感じるもの。」
「キッチンだって、最初のうちは慣れなかったんじゃないの?」 「ああ、そう感じたのは、もうはるか昔のことに思えるわ!」 「そういうものさ。君はキッチンのことをたくさん学んできたよね。もし、自分が心地よく感じるゾーンから抜け出す気持ちがあるなら、これからは教育についても多くを学べるよ。」 それから何年か経った今、私は同僚の助言に感謝しており、その言葉を思い出しては、絶え間なく押し寄せる人生の変化という痛みを伴う過程を乗り越えるようにしています。自分に制限をかけて、好きなことや得意なことだけをしているなら、成長が妨げられてしまいます。しかし、変化の流れに身を任せて前へ進んでいくなら、その過程で新たなスキルを身に着け、初めてのことを楽しく経験していけるのです。
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燃え盛るビルの80階に閉じ込められた女性の実話を聞いたことがあります。彼女は高所・閉所恐怖症でした。それで、火災報知器が鳴り響き、同僚が安全な場所に避難するために非常階段の方へ行っても、彼女はついて行こうとしませんでした。
消防士たちがビル内を見て回った時、女性がデスクの下に隠れて、ただ死ぬ時を待っているのを見つけました。非常階段を降りるように言っても、怖い、怖い、と叫ぶばかりなので、とうとうひとりの消防士がこう言いました。『大丈夫。怖くてもいいから、とにかく降りましょう。』 その消防士はずっとそういい続けながら、80階分の階段を一緒に降りて、女性を安全な場所まで連れて行きました。 すべきことはわかっているけれど、恐れによって踏みとどまってしまうという状態に陥ったことがあります。しかし、人より抜きん出るには、恐れに面しつつも行動する習慣をつけなければなりません。怖くても大丈夫。怖くてもいいから行動しましょう。不安でも大丈夫。不安でもいいから行動しましょう。快適に感じなくても大丈夫。快適に感じないながらも行動しましょう。 新しいことに挑むのは、最初は誰にとってもかなりぎこちなく感じられ、さらには怖いことだってあるものです。しかし、思い切って一歩踏み出し、恐れていることをあえてやってみれば、そのうちに必ず上達して、もっと楽にできるようになるでしょう。そしていずれは、もう怖くなくなります。恐れは、そうやって克服していくのです。 Courtesy of Activated magazine. Used by permission. Image by Vexels.com |
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