|
セロリを色水につけたことがあるでしょうか。何が起こるかというと、茎の中を色水が吸い上げられていくにつれ、セロリの色が変わっていくのです。完全に色が変わるには数日かかりますが、水に入れるとまもなく、茎に色がつき始めます。セロリは、空中や土壌中にある毒や殺虫剤なども素早く吸収します。 私たちの霊もそれと同じです。栄養、インプット、その他何でも私たちが心身をさらすものは、良くも悪くも私たちに影響を与えます。私たちは、インターネットや映画、音楽、書籍、そして言うまでもなく、私たちが接する人たちなどから、あふれるほどのインプットを受けています。しかし、それが私たちにどんな影響を与えるかは、セロリをつけた色水の効果ほど明白ではありません。 中には、無害そうだったり、それどころか良いものでさえあるように見えるけれど、結局は悪影響をもたらすものがあります。また、問題なく楽しめ、無害であるし、さらには知性を養い、技能や知識を高めてはくれても、私たちの魂を健康に保つ栄養が含まれていないということもあります。
だからこそ、イエスは、インプットの源として彼につながっていなさいと言われるのです。イエスは、それさえ飲めば私たちの魂は決して渇くことがないという命の水を、私たちに与えようとしておられます。詩篇第1篇には、神の道や御言葉を喜びとする人は「流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える」と書かれています。(詩篇 1:3)
ですから、生きた水の流れのほとりに、しっかりと根を張る人生を送ろうではありませんか。
使徒トマスは、イエスがよみがえったことや、他の弟子たちがイエスに会って言葉を交わしたことを疑い(ヨハネ20:25)、自ら救い主に会って、その手や足にあいた穴にふれるまでは納得しませんでした。 しかし、信仰の歩みにあって、実際にイエスに会うという特権にあずかれることは稀です。多くの場合、神は私たちに、見なくても信じることを望まれます。そうすれば、私たちはさいわいにも特別な祝福を受け取るのです。(ヨハネ20:29) 見えないことを信じる信仰を持つのはなかなか大変なことですが、答えの一部は、私たちの周りにあります。春に咲く花、実を豊かにならせる木、麦やトウモロコシやコメの豊作もすべて、わりと小さな種から生じます。 種は、暗い地中に埋められ、太陽の温かみに育まれ、雨や農夫のおかげで水を受けて、時と共に姿を変え、成長し、立派な木々や植物となります。美しく、実をならす木々や植物のすべてが、元々は小さな種から育つというのは、信仰とよく似ています。 外を散歩して、花や木を眺めてみましょう。自然界の美しさや神秘は、霊の真理を反映しています。植物学者でもない限り、小さな種がよく茂った植物に成長する過程の詳細にまでは気づかないことでしょう。同じように、時々、信仰について疑問を抱き、悩むことがあっても、あなたの信仰はなお生きており、その働きをなしています。 散歩の途中で足をとめ、植物のいくつかをじっくり観察してみて下さい。複雑な模様に目をやり、花のにおいをかぎ、様々な植物それぞれの葉や茎の感触を味わってみて下さい。つるつるのものもあれば、ざらざらのものもあります。また、微妙な色合いや、様々な成長段階があります。それから、一歩下がって全体をながめてみましょう。そのすべては、小さな種から育ったものなのです。 では、信仰について考えてみて下さい。最初から立派な木でなくても構いません。始まりは、小さな種でいいのです。それを植え、育て、神の言葉によって養うなら、成長していくことでしょう。(ローマ10:17) Text courtesy of Activated magazine. Art by Didier Martin.
ディディエ・マルタンが制作したクリスマス用の3D紙おもちゃ。 ダウンロード可能なファイルには組み立て説明書が含まれています。
|
Categories
All
Archives
May 2026
|












RSS Feed